「私」たちの正体(3)



前回は、「私たちが見ているものの正体」でした



では、「私」たちの正体は、何でしょうか?

(このテーマ、以前のブログでも語っていたので、今回で3回目になります)(笑)


(過去ブログ)  

「私」たちの正体 
    
「私」たちの正体(続)  




今、私は、目の前にあるパソコン画面を見ながら、キーボードを叩いています





このパソコン画面を見ている私は、     

私の目で、「私」を見ることは出来ません 

    

(当たり前じゃないか!)

つまり、私は、「私」を認識することが出来ません



この「私」って、一体誰?

誰もがいると信じて疑わない「私」って本当に私? 

 

(何を言っているんだ! 鏡で確認してみろ! 目の前にいるじゃないか!)





それは、肉体です

私がいると思っているのは、自我意識です


この自我意識によって、私がいると思い込んでいるので

私を体験できているのです  



私がいると思わないと、体験できないのです   





ならば、「私」って、一体何者?


神さまがいる(ある)と仮定します

神さまは、自分自身を認識出来ないので、

人間というものをわざわざ作って

人間という存在を通して、自分を見ている




つまり、自分で自分を体験している





そういう見方をすると、私たちは神さまと一緒

(実際、神さまは、対象物ではないので説明は出来ませんが)




それを宇宙と捉えたならば

私たち人間は

人間の体験をしている宇宙なのです


これを本質(源)といいます


私たちは、本質(源)から現れた存在です



今、本質へ戻ろうとしています

それが起きています




神への帰還です

片道切符だと思って、長い旅を続けてきたけれど

始めから還る場所があったのです

それが本質(源)です


目の前のパソコンを「私」が見ているのではなく

本質(源)が見ているのです


これが、私の正体です(笑)



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