「私」たちの正体

仏教では、「唯識」といって

「私」たちの正体は、意識(心)と捉えています

「唯識」、唯(ただ)意識(心)だけが存在している



今までも

これからも  永遠に…


すべての人が感じている この「私」という感覚は

それぞれ個別の「私」が存在しているかのような錯覚を覚えますが

実は、それは すべて同じ一つの 命(いのち)


つまり、仮に「私」が他人の体に入れ替わったとしても(笑)

この「私」という感覚だけは、誰の体に入っても変わりません


なぜなら、「私」たちは、たった一つの命だから





これが、「私」の正体です

この世界には、私しか存在しないのです

人の数だけ「私」が存在しているのではなく

たった一つの私  唯一の私  絶対的な私

これこそが、この世界の主 


「私」の正体です



なので、「私」は存在しない  

それが「無我」


この世界は、意識(心)によってつくりだされた幻想の世界  




私たちは、とてもリアルな夢を見ています

この世界が夢だなんて、おかしく感じるかもしれません


それは、「私」が夢だとは思っていないから

夢は、目覚めるまでは、夢だとは気づかない(笑)





意識(心)がなければこの世界は存在していない

意識(心)がこの世界をつくりだしている

肉体がなくなっても    

あなたが無くなることはありません(笑)





あなたは、いつでも 今も この瞬間も

大いなる源の一部です


大いなる源である私が

人の数だけいる「私」を通して

この夢の世界を同時に体験している

そんな夢のような世界がこの世界です(笑)




なので、「分離」は起きていません

私たちは全員 
大いなる源から
分離したことなど 一度もなく

分離しているという夢を見せられている


どれだけ、あなたがこの分離の世界で
絶望という悪夢にうなされていようと


還るところ、目覚めるところは

すべて同じ一つの命です





愛は、常にそのことを「私」たちの夢の中で見せてくれています



愛とは、夢から目覚める力です



そして、私たちは愛であり、

常に、大いなる源と一つです



私たちは、分離した存在ではなく

はじめから、この絶対的な安心感で満たされた存在なのです


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