比較と余白


私たちはずーと、何かと比較し

誰かと比較しながら生きています




あの人よりも 

勝っているとか、 劣っているとか

他人と比較することで

不安になったり、 満足したり

一喜一憂しています








全員が、

自分と他者を比較し

自分も他者から比較されています



私たちは、

他人を色メガネで見ていながらも

同時に、他人からも色メガネで見られています





これが、私たちが暮らす相対の世界です



常に、主体と客体で物事を見ている世界

私が主体で、私以外が客体です


結局、相対の世界では、

自分と他者を比較することで

自分の立ち位置を確認しているだけのことなのですが


この世界では、常に他者と比較され、評価されるのが、

当たり前になっています





仮に、一所懸命頑張って、1番を取っても

今度は、そこに居続けなければならいプレッシャーを抱え

結局、1番をとっても比較され続けるのです


なので

比較の中で、自分の立ち位置が決まるという世界では

勝ち続けるしかないのですが

しかし、それは不可能です(笑)







早晩、行き必ず詰まってきます


そこに、本当の幸せはありません

幸せのようなものが、存在しているだけです


目の前にぶら下がっている人参と同じ(笑)







相対の世界に入り込むと、自分自身を見失いがち

それを避けるには、余白を持つことです


余白とは、余裕

あいだ

適当な距離感のこと


実はここに

絶対の世界広がっています  

極と極のあいだです







小さい頃を思い出して下さい

その頃のあなたは、

正しいとか、正しくない、などと判断して動いていたでしょうか?  


その頃は、「自分が楽しい」ことを夢中でやっていたと思います

 

時間を忘れ、ただ今を楽しんでいました







自分だけの「最幸の世界」


それが自分軸、絶対軸です 


子供の頃は、いつも絶対軸で生きていたのに

大人になると、それを忘れ相対軸で生きるようになります


優、劣  善、悪 ・・・ 
といった相対軸で物事を見るようになると

必ず対立が起きます


戦争とは、「善と悪」の戦いではありません

「善」と「善」のぶつかり合いです








どちらも、自分が善で、相手が悪だと思っているので

争いが起きているだけです


相対軸から距離を置いて

良い、悪いではなく

0でも1でもない   

そのあいだ



あいだには、

正しい、間違っていると言った答えはありません

そもそも、答えを求める必要がない







既に、お互い認め合っているのが、あいだ

評価なども存在しません



あいだには、常に余白があります

まだ何も書かれていません

可能性だけが広がっています








本当に心を動かしてくれるのは、

正しい答えではなく、

何でもできる無限の可能性


余白はいつもあなたのそばにあります


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