私たちの還る場所 


お釈迦さんは、弟子達に「教え」を説いた



プロセス(解き方)は教えたが

答えは、言わなかった






お釈迦さんは、プロセス重視の先生だった



ゴールへの道筋を教えることで

ゴールへたどり着くという考え方



一方、老子は、解き方は教えない



答えだけを残した(老子道徳教)



結果重視






ゴールを示すことで

いずれ、ゴールへたどり着けると言う考え方




しかし、私たちは

どこまでいっても、プロセスは続くし、

ゴールがあるのに、ゴールに辿り着けない



2人の覚者が、本当に伝えたかったことは、

答えでも、プロセスでもなく


私たちは、本質から現れた存在であり

本質に還っていくということ






本質は、答えもプロセスもすべてわかっているが

本質から現れた私たちが、本質を知ることは難しい


本質を、文字や言葉で表すことは出来ないのだ

それを「不立文字」という   


「般若心経」を読んでも、わかる人がいないのと同じ 

あれは、目覚めた人にしか、わからないのです

(だったら、一体、何のために書かれたものなのか)(笑)






本質とは、何なのか

なぜ、我々はここにいるのか

誰からも、教えてもらっていない




ただ、ハッキリとしているのは  

私たちは、お母さんのお腹の中から生まれてきたということです(笑)





では、お母さんの一部なのか?



いや、お父さんがいないと、ここにはいない



ならば、私たちは、お母さんとお父さんの一部なのか?



でも、そのお父さんも、そのお母さんも

そのお父さんと、そのお母さんの一部であり・・・




そのお父さんも、そのお母さんも・・・





結局、始まりがどこなのかわからない



そうです

私たちはすべて、ひとつの生命(いのち)なのです




それが、本質です

始まりも終わりもない、ひとつのいのちなのです



私たちが、ここにいる理由は

どこかに向かっているのではなく



元の場所(本質)に、還ることだった

それが、神への帰還 


  

随分、遠くまで来てしまいました(笑)






でも、どうやら折り返し地点が近いようです


帰りは下り坂です  たぶん・・・(笑)

ゴールまであっという間です


本当のゴールは、行って還ってくることだった



それが、ここにいる目的たっだのです






チャンチャン



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