地球で一番幸せな場所(後半)
前回からの続きです。
実はピダハン語にはある共通性があります。
それは、実態を持たないものに
言葉(名前)は存在しないということ
実は、色には実体がありません。
赤という呼び名はあっても
赤という存在物はどこにもない。
「血」は存在するが、赤色は存在しないのです。
なので、ピダハンでは「赤は血」 以上(笑)
同じく、数字にも実体はない。
実態がないので、ピダハンには数がありません。
エヴェレットさんも、最初はそれに気づかなかった。
ところが、
ピダハンでは、魚が一匹でも、二匹でも
それが同じであったりする・・・
大きい魚一匹と 小さい魚二匹が同じ???
その時に、ハッ! と気がづいた。
ピダハンでは、数がない! 数を数えない!
数ではなく、量で表わしている!
しかも、その量を表わす言葉も極端に少ない。
「あるか」「ないか」「十分あるか」
それで十分なのです(笑)
数字は、数を数えるというアイデアでしかないのです。
ピダハンでは、数がないので、時間の概念もない。
過去や未来の話も会話には出てこない。
「昔、~なことがあった」という昔話がない(笑)
大事なのは「今」だけ。
今、起きていることがすべてなのです。
常に、今ここにしか、意識はないのです。
自分が会ったことのない人の話もしない。
ピダハンでは、直接体験したことだけが真実で、
ピダハン語ではそれを「イビピーオ」といいます。
なので、私たちの日常会話では普通の「だれかの話」はない(笑)
それを話すと、どうなるのかというと
エヴェレットさんはキリスト教の伝道師
そこで、村人にキリストの話や創世記の話をしたところ・・・
大爆笑!
「キリストは、どんな顔をしているんだ」とか・・・
質問攻めに遭う
自分の直接体験ではないので、質問に答えられない。
「なんだ、こいつの言っていることは
すべて、イビピーオじゃないぞ!」
全く興味をもって持ってもらえないのです(笑)
ピダハンには他の少数部族と同様に多くの人たちが訪れます。
不幸にも、少数部族の中には、物質文明に侵され、
おかしくなっていった例がいくつもあります。
ですが、ピダハンの人たちは異文化の知識や技術を取り入れる気が全く無い。
そんなことには、全く興味が無いのです(笑)
なぜなら、ピダハンの人たちは全員、メチャクチャ幸せだから
縄文時代の日本も、きっとこんな感じで
みんなが幸せに暮らしていたのだと思います。
私たちの世界を、冷静にみてみると、
色も数字も常識もルールも・・・ 世間様も
それらは、すべて自分たちが作り上げた
実体のない概念に過ぎないのです。
それらに縛られて生きています。
その逆が、ピダハンの世界です。
私たちは自ら作ったルールに自らが縛られ、
本当の幸せからは、遠ざかっている気がします。
ピダハンから見たら
私たちは、「不幸の世界に住んでいる文明人」
そのように写っているのかも知れません。