真実の扉
真実の扉は、いつも開かれています。
この扉は、閉めることができません。
常にオープンです。
但し、入らないことも選択できます(笑)
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私たちに出来ることは選択です。
映画「マトリックス」の中で
モーフィアスは、ネオに言った。
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「これは、最後のチャンスだ」
「青いカプセルを飲めば、君は、今まで通り、いつものベッドで目を覚ます」
「赤いカプセルを飲めば、君を真実へと連れて行こう」
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そして、こう付け加えた。
「私が見せるものは、真実以外の何ものでもない」
そして、ネオは迷わず、赤いカプセルを飲んだ。
これは、目覚めるか、目覚めないか、2択の有名な場面ですが
私たちの現実はどうなっているのか、と言うと
「私には、この扉が開いているようには見えません」
「入ろうとしましたが、閉じていました」
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「扉が閉じている」と信じている方には
扉は閉じているようにしか見えない。
実際の私たちは、このように現実を見ています。
これが「解釈の世界」と呼ばれているものです。
その人の信念によって
この世界は、その人が見たいように解釈され、創り出されています。
決して、閉じることが出来ない扉でも
閉じているように見えてしまう。
それだけ、私たちの信念は良くも悪くも強固なのです。
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私たちは、解釈によってすべてのものに意味を持たせる名人です。
「イエス」を「ノー」に変えることも
「誤り」を「正義」に変えることも得意です。
実際、毎日これをやっています(笑)
だからといって
私たちが、いくら真実をねじ曲げようとも
真実が真実でなくなることはありません。
扉の向こうには、永遠に真実だけが広がっています
そして、扉はいつも開いています。
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私たちは、これまでずーと
この扉によって、
真実を自分の目から
隠すことに成功してきましたが、
それも十分やり尽くしました(笑)
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さあ、そろそろ、源に還りましょう!
始まりも終わりもない
真実の世界へ
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本当の私たちは
始めから「大いなる源」以外の何者でもありません。
(おまけ)
SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」
50年以上も前に作られた映画ですが、今でも全く色あせていません。
映画の冒頭で登場する黒い石板「モノリス」
いつ、誰が、一体何のために、置いたのかは、謎
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このモノリスに触れたことで、猿は道具の使用に目覚める
やがて人類は宇宙船を作り出し、人工知能を搭載する
この人工知能HAL9000が船内で反乱を起こすのだ
最後にモノリスが再び現われる
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非常に難解で、始めて観たときはキツネに包まれたような感覚でした。
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果たして、私たちは「正しい進化の道」を歩んできたと言えるのでしょうか?
そして、道具とは、一体、何のためにあるのでしょうか?
使い方を間違えると、喜びとは、真逆の道をたどります。
非常に考えさせられる映画です。