いのち
東洋と西洋の考え方の違いは
どこからくるのか?
東洋思想は「ない」が起点で
西洋思想は「ある」が起点となっています。
仏教では、「無我」
つまり、「私はいない」
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一方、キリスト教では、「三位一体」
すべては一つと捉えます
つまり、「私しかいない」となります。
「私はいない」も
「私しかいない」も同じこと
すべてが一つなら、私はその全体であり
全体が私なら、私という個人は存在しない
なので、「私はいない」
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仏陀もイエスも言っていることは同じ
私とは、全体であり、
一つの「いのち」なのです
それを愛といいます
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私たちの正体は「いのち」であり、そして愛です。
「いのち」は、絶えず変化していて
その変化をまた、「いのち」が体験しています。
私たちは、「いのち」の体験者であり、愛の体験者
それ以外の何者でもない
「いのち」が体験しているとは、変な言い方ですが
私たちは、生まれた時から
「私」という奇妙な感覚が存在しています(笑)
この奇妙な感覚の「私」にだまされて
「私」が生きていると錯覚しています。
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この「私」は本当の私ではない
そのことを仏教では「無我」
「私はいない」と言っているのです。
「私」が生きているのではなく
生きている生こそが私たちの正体
それが「いのち」
愛です
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なので、愛が失われたことなど、本当は一度もありません。
目の前で起きている争い事は、
私たちが「愛を見失っている」だけ
愛は奪うことも、奪われることもなく
いつもあなたと一緒
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ただ、信頼するだけでいいのです
信頼すればするほど、どんどん力が高まります
すると、奇跡が起きてきます(笑)
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奇跡は特別なものではなく
本当は、いつもあなたの目の前で起きています