「私」たちの正体(続)
「私」をもう少し掘り下げていきましょう
前回の「私」とは、
「ワンネス」の世界をあらわしたものでした
さらに、お釈迦さんは
この世界を たった2つの言葉で表わしました
「諸行無常」
「諸法無我」
諸々の行い(現象)には、たくさんの法則が存在し、
それが常に変化し、動き続けている
この世界に 変わらないものなど何一つなく
法則による現象のみが存在する
お釈迦さんがいう「無我」とは
「我」(私を含むすべて)に実体はないという意味
つまり、この世界に
実体のあるものなど 何一つ存在しない
私たちは、大いなる何かに 生かされているのではなく
何かが、この世界をコントロールしているのでもない
コントロールしている主(あるじ)そのものがいないのだ
お釈迦さんの凄いところは
「ワンネス」そのものを否定したところ
主(あるじ)がいるのではない
現象のみがあるのだ
「私」が呼吸しているのではなく
呼吸が起きている
呼吸も心臓も、自分では止められない
自動的に起きている
私が理解しているのではない
理解が起きている
私が、このブログを読んでいるのではない
その衝動が起きているのです(笑)
この世界には、様々な法則が存在し
その法則によって
それが、ただただ自動的に起きている
そして、
そこには、「縁」という条件が加えられている
つまり、「原因と結果の法則」には
原因と結果の間(あいだ)に
様々な「縁」がタペストリーのように折り重なって、
それが、結果として起きている
同じ原因でも
結果が違うのは、人によって条件(縁)が違うから
なので、結果も人によって様々
そして、その結果も、時々刻々と変化している
今、目の前で起きている現象は
様々な「縁」がすべて出揃った結果
起きていることで
その証拠を 自分自身で確かめているのです
今、このブログを読んでくれているあなたも
様々な「縁」によってその衝動が起きています(笑)
そう思うと
みなさん1人1人のご縁に 感謝せずにはいられません(嬉)
(いつも、読んでくれてありがとう!)
(そして、今ここに戻ってきてくれて、ありがとう!)
チュ
(これはおまけ)