あるがままの世界とは
私たちは何の前触れもなく
いきなり子宮から出てきます(笑)
そして、見たこともない人が目の前にいるのだから
相当ビックリしたはず。
人生で恐らくこれほどビックリした経験は無いはずなんですが
皆さんすっかり忘れています。
そして、
なぜここに来ているのか、知らされないまま現在に至っています。
あるがままの世界とは
生まれたての赤ちゃんが見ている
まっさらな世界のことです。
解釈が加わらない、オリジナルの世界のこと
オリジナルの世界では、
見えているものに一切名前がついていない。
一切の区別がない世界です。
自分と他人という区別もありません。
赤ちゃんはこの「あるがまま」をそのまま見ています。
これを空の世界とも言います。
このオリジナルの世界に
いろいろと解釈が加わったのが
私たちが現実と呼ぶ色(しき)の世界
私たちは、この色の世界(解釈の世界)と
空の世界(あるがまま)を同時に生きています。
私という個でありながら
全体意識としても存在しています。
色と空、
個と全体、行ったり来たりしています。
お釈迦様は
それを色即是空、空即是色と顕わしました。
生まれたての赤ちゃんに最初に与えられるのが名前です。
「○○ちゃん、○○ちゃん」と呼ばれるので
いつしか、「私」は○○と言う名前の人間だと知る。
私は○○だと自覚させられていきます。
そして、いつしか、
目に見えているものすべてに名前が付いていることを知る
こうしてすべてのものが自分と自分以外に分けられる。
やがて、世界はこのように分離、分けられた世界として自覚していきます。
オリジナルの世界から分離が始まり、どんどん離れていきます
この世は
言葉によって、説明が加えられた解釈の世界で
言葉によって便宜上、名前というものを付けているだけなんですが
この名前が人やものを区別するために使われ
やがて、価値や意味が付け加えられていく、
そこに、比較が起こります
これが私たちを苦しめている元凶です。
お釈迦さんは
この世界は、そもそも「思いのまま」で
それを変えようとするから思い通りにならない。
それが苦である。
この世界には実体はなく、
変化している様だけがそこにある
諸法無我(どこにも実体はない)
一切皆苦(人生は思い通りにならない)
諸行無常(変化だけがある)
と2500年前に説かれています。
本来、
苦しみなどは存在していないのですが、
思い通りにならないと
錯覚して生きているから、
苦しみが生まれている。
それは2500年たった今でもほとんど変わっていません
ですが、お釈迦さまは
涅槃寂静(それでも救いはある)
それは煩悩を捨てること
3つの煩悩(三毒)
貧欲(手に入れたい)
怒り(遠ざけたい)
愚痴(知らない愚かさ、見栄やプライド)
うーーーん
まだまだ捨てきれない(笑)